「マッチ」の愛称で知られる近藤真彦さんは、2026年9月現在も歌手としてライブを続ける一方、モータースポーツではKONDO RACINGのチーム監督として活動しています。
2026年には全国コンサートツアー、バースデーライブ、韓国公演を開催。音楽活動と並行してSUPER GT、SUPER FORMULA、KYOJO CUP、EVカートなど複数カテゴリーのチーム監督を務めています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 近藤真彦(こんどう まさひこ) |
| 生年月日 | 1964年7月19日 |
| 年齢 | 62歳(2026年9月現在) |
| 出身地 | 神奈川県 |
| 職業 | 歌手・レーシングチーム監督 |
| 所属 | エムケイカンパニー |
| 歌手デビュー | 1980年「スニーカーぶる~す」 |
| レーシングチーム | KONDO RACING |
| 現在 | 歌手活動とモータースポーツのチーム運営 |
近藤真彦は現在何してる?
近藤真彦さんは現在、歌手とレーシングチーム監督という2つの仕事を本格的に続けています。
公式サイトでは2026年のコンサート、舞台、ディナーショー、テレビ、ラジオなど大量のスケジュールが公開されています。
7月には東京国際フォーラムで「BIRTHDAY LIVE 2026」を開催。
さらに「今度も最高!KONDOも最高!近藤真彦コンサートツアー2026」も開催しています。
一方、KONDO RACINGでは2026年もSUPER GTやSUPER FORMULAなどへ参戦しており、近藤さんがチーム監督を務めています。
2026年には韓国でもライブ
2026年6月には韓国・ソウルで「Masahiko Kondo Live in KOREA」を開催しました。
韓国の人気歌手との共演も実現しています。
62歳を迎えた7月のバースデーライブでは、今後について海外でも活動を広げたい考えを語りました。
日本国内の周年ライブだけでなく、海外公演にも取り組んでいることが現在の特徴です。
2026年にオリジナル339曲を配信
2026年7月19日には、近藤さんのオリジナル楽曲全339曲が主要音楽配信サービスで配信開始となりました。
さらにアルバムをまとめたコンプリートBOX「宝」の発売企画も進められています。
1980年のデビューから40年以上にわたる作品をデジタルでまとめて聴けるようになった形です。
過去作品の整理だけでなく、現在もライブ活動を並行しているため、45周年以降も歌手活動は続いています。
ラジオ『近藤真彦 RADIO GARAGE』も継続
現在は文化放送『近藤真彦 RADIO GARAGE』も担当しています。
2026年にも放送スケジュールが公式サイトで継続的に告知されています。
音楽ライブだけでなく、ラジオ、テレビ出演、イベントと幅広い活動を行っています。
かつてのアイドルが周年の時だけ姿を見せているという状態ではありません。
KONDO RACINGの監督として活動
現在の近藤さんを語るうえで、歌手活動と同じくらい重要なのがモータースポーツです。
2000年に「KONDO RACING」を設立。
その後はレーサーとしてだけではなく、チームオーナー・監督として活動してきました。
2026年のSUPER GTではGT500とGT300の両クラスで監督。
SUPER FORMULAでもREALIZE KONDO RACINGの監督を務めています。
さらに女性ドライバーによるKYOJO CUP、全日本カート選手権EV部門でもチームを率いています。
芸能人の趣味としてレースに関わっているのではなく、長年チーム運営を続けるモータースポーツ関係者です。
近藤真彦が有名になったきっかけ
近藤さんは1979年、TBS系ドラマ『3年B組金八先生』に出演して注目を集めました。
田原俊彦さん、野村義男さんとともに「たのきんトリオ」と呼ばれ、一躍人気者になります。
1980年12月12日に「スニーカーぶる~す」で歌手デビュー。
同曲はオリコン1位を獲得しました。
続く「ヨコハマ・チーク」「ブルージーンズ メモリー」「ギンギラギンにさりげなく」などもヒットし、1980年代前半を代表する男性アイドルとなりました。
「愚か者」で日本レコード大賞
1987年には「愚か者」で第29回日本レコード大賞を受賞しました。
アイドルとして人気を集めるだけではなく、歌手としても大きな賞を獲得したことになります。
1990年代には「ミッドナイト・シャッフル」などもヒット。
若い頃だけの人気で終わらず、年代をまたいで代表曲を持つ歌手になりました。
現在のライブでも、これらの楽曲が長いキャリアを支えています。
芸能活動と並行してレーサーへ
近藤さんは1984年に富士フレッシュマンレースへ参戦しました。
その後、本格的にレーサーとして活動。
全日本F3、F3000、フォーミュラ・ニッポン、全日本GT選手権、ル・マン24時間などへ挑戦しています。
芸能活動が落ち着いてからレースを始めたのではなく、人気歌手だった1980年代から長期間両方を続けてきました。
その経験が2000年のKONDO RACING設立につながっています。
2021年にジャニーズ事務所を退所
近藤さんは2021年4月、長年所属したジャニーズ事務所を退所しました。
退所後も歌手活動を継続。
自らの会社やKONDO RACINGを活動の軸とし、ライブを積極的に行うようになりました。
2025年には歌手デビュー45周年を迎え、その後の2026年も全国ツアーを開催しています。
事務所退所を機に芸能界を離れた人物ではありません。
近藤真彦の現在まとめ
近藤真彦さんは2026年9月現在、歌手とレーシングチーム監督という2つの分野で本格的に活動しています。
1979年の『3年B組金八先生』で注目され、1980年に「スニーカーぶる~す」で歌手デビュー。
「ギンギラギンにさりげなく」「愚か者」「ミッドナイト・シャッフル」などのヒット曲を残しました。
一方で1980年代からモータースポーツへ挑戦し、2000年にKONDO RACINGを設立。
2026年もSUPER GT、SUPER FORMULA、KYOJO CUPなどで監督を務めています。
音楽では全国ツアー、韓国公演、ラジオ、舞台などが続いており、現在も「歌手のマッチ」と「レーシングチーム監督・近藤真彦」の両方で活動しています。
主な確認先
- 近藤真彦オフィシャルサイト
- KONDO RACING公式サイト
- ORICON NEWS「近藤真彦」プロフィール
- 文化放送『近藤真彦 RADIO GARAGE』
- KONDO RACING「2026チーム体制」